適当飯について

最近はてきとうな飯で過ごすってのをやってる。食費を抑えたいなーと思って。

 

例えばコンソメの素を溶かしたものだったり、漬物だったり、小麦粉と砂糖と水を焼いたものだったり。

 

コンソメの素を溶かしたもの…コンソメの素を入れお湯で溶かす以上。

 

漬物 :大根とかきゅうり切って塩砂糖水につける以上。1日後食える。

 

小麦粉と砂糖と水を混ぜて焼いたもの:

名前の通り、フライパンで適当に焼く。ホットケーキとかナンっぽい味がする。

 

料理って敷居が高い物だとか思ってずっと外食してたんだけど別にこんな風に適当でも大丈夫なんだなと思った。味ってのも結構曖昧なものだしね。

 

こんな感じでレパートリー増やしていきたいですね〜

今日の徒然

はぁほお

なんくるない

それにしても。

 

最近、ラノゲツクール というアプリでラノゲを作ってみた。サウンドノベルスマホで作れてしまうという代物である。とっつきやすいなと思いここ5日間ほどてきとうに。

 

結果。形になりませんでした!

 

ゲーム一本作るって難しい。魅力的な展開を作るには多少長いストーリーが必要だし、そこがまず大変。加えて演出…気の遠くなるような作業にいつのまにか捻じ曲がって行く物語。

 

モチベーションを維持するのが難しい。結果放棄。とりあえずアップはしてみたものの。ダウンロード数は1…人生とは儚いかな…

 

でも何もない時間をこんな風に使えるというのは発見だったかな。一番の敵は退屈だ!なんていうくらいだし、自分もよく押しつぶされそうになる。だけどこんな風に創作をする事でそれを乗り越えることができるんだ。ってそう思えたのは良い事だ。

 

今日が終わったし寝たいけど昼夜逆転中なので寝られるかどうか…

 

まぁどうであれ結構有意義な時間だったよ

 

まどマギが好きだった

魔法少女まどか☆マギカ

アニメが好きな人にとっては知らない者はないとも言える名作だ。絶望と希望が入り混じるハラハラするような展開に、スッキリとしない後味の残るラスト。各々のキャラクターは魅力的で、彼女らが辿る数奇な運命はとても儚い。

 

高校時代、アニメなんて見ずに生きてきた自分にとって最初の作品としてはあまりにも強烈だった。解釈サイトを読み漁り、足りないところは自分で補った。なけなしのお金で秋葉原にグッズを買いに行き、通学の際にループしたOPの回数はどれほどだろうか。

 

とはいえそれが自分だけではないことは周りを見るとよくわかった。自分のようにまどマギに感動していた人間は多くいたし、自分以上にそれに傾倒していた人もいた。おそらくその時期、その作品というのはとても相性が良かったのだろう。どう表現したら良いかわからないが多くの人にとって混迷極まる思春期の中でそれこそ「希望」を感じるものだったのは確かではないだろうか。

 

あのときからだいぶ時間が経った。どういう良さが、何が魅力的でどう美しくて、ここが感動した、具体的な意味が抜け落ち、ただ良かったなぁという感想が残っているのみとなっている。思い起こせば思い起こせそうだが、あまり気力もないし必要性も感じない。今掘り起こしたところでそれは違ったもののようになる気もする。

 

恐らく何かしら辛かったのだろうなとは思う。拠り所であったのだろう。無自覚であったが僕はまどマギのその哲学、価値観に魅了されたのだ。あのとき書いた解釈マップはどこへ行ったのだろうか。僕がまどマギを思うときの気分は郷愁を感じる酒のCMを見たときの気分に近い。

ブログを始めてみた

駄文をガンガン連ねたい。とりあえず書いていこう。頭になんとなくあることとか曖昧なこととか。いつか消えて無くなるから、まぁこのブログだっていつか無くなるのだけど1秒よりも10秒の方が良いよね、残る時間は。会話だとその場で消えて無くなら感じがあるし。とても見にくい文章かも。いや、絶対にそう。だってこの時点でまだ改行すらしてないし。いや、脱線やめて意義を話そう。いや意義なんていや最初だし、せっかくだからいつかこの文章を微笑みながらあの頃は…とか読む時もあるんじゃない?なんかなんでも微笑めそうだな。でもなんとなく残しておきたいな。意義的な何か。ツイッターやってるんですよ。一人でぼんやりそれこそ非公開アカウントでフォロワー0、完全に閉ざされた空間の中でずっと独り言言ってたんですよ、色々なアカウントを覗きながらその人の話題やそれとは全く関係ない自分の話とか思いついたこととか永遠ダラダラ、その空間は本当に自由で、別に大きな幸福が感じられるとかではないけど気づいたら覗いて呟いて、不安なことがあればそこにいるというような安全なシェルターみたいな感じかな。公開アカウントでやっていた時も一瞬あったけど全然自由に呟かなかったんだ。どう頑張ろうが人間関係に巻き込まれるから、勝手に巻き込まれにいってると言われればそれまでですが…それこそ見栄みたいなものにどうしても潰されてしまうような。自分の今好きな話題を自由に呟ける場所、って印象があったのですがどうもそうじゃなかったんだよね。なんだかいや、まぁなんだろうか。また新しく始めれば違ったものになるかもしれないけどなんか気乗りしないって感じで。じゃあ何故はてなブログで?と聞かれたら何故だろう…長い文章が書けるからとか、新しい場所だからもしかしたら予想とは違う感じの方向?知らない方向に行けるのではというような感じです。自分でもよくわかってない。ちょっと考えようとしたけど面倒だからやめた。あそこはあそこで残しておきたいというのもあるかもしれない。でもこういうのにいちいち理由づけしてもあんまり意味が無いような気がする。まぁええと…なんだっけ?わからんな。何もわからん。まぁつまり自由にばらばら喋れることできそうとかそういうことが一つ。あとはそう…結構感謝してたんだよね、多くの人が自分の話とか新しい関心ごとを持ってきてくれるのに自分はただ壁の中からそれを捕まえてみているだけで相手には見えないというような一方的な関係に。なんだか悪いなーって思って自分の考えなんてたかが知れてるんだけどサンプルの一つにはなっても良いのではないだろうかと。別に利他精神とかではないが、まぁ資料は多いに越したことはないと思うんですよ。別にそんなスペースはとってなさそうだし。なんだかまぁそれが2つ…なんかテンションが下がってきた。何やってるんだろう俺…始まりはワクワクするものさ。でもあとで見返して、これが足かせに自分の凡ゆるこの発言が足枷に…こんなテンションが続けば別にいいんだけど。状況は変わる。価値観は秒単位で変わっていくし。でもなんだろうな。なんなんだろう。まぁ新しいことをやってるんだ、ここからどう転ぶかなんて今考えてもわからない。ただなんとなく文章をダラダラ書いてみたかったんだ。別にそれ以上どうこうとか関係ないか。誰かに見て欲しかったなかもしれない。とっておきのつもりだったんだけどこんな考えを見つけたんですよ。これは自分のオリジナル!そう思って良いだろうか。いやなんか気乗りしないやめておこう。というのは一瞬自分が思いついたアイデアをここでポンと投げちゃうのはもったいないかな〜みたいに思って、作品が作りたいなーと思うときがあってその為に残しておきたい?なんてそんな感じで、ここでダダ漏れにしてたらそんなに、なんかはー。自分の切り売りの話について今思っている。今の行為も全部その類かもね。結局ツイッターで思っていた予想通りの流れに自分も落ち着いて行くのかもしれない。そしたらなんか悲しいな。でも別にそれだけじゃないはず、誰かが言った…ジャストドゥイット。止まったら枯れるから生きる意味なんてないから。だから止まって考え込んでもダメになっちゃうだよなー。続ける辞めるにしても歩いていたら通る道だと、そう思いたい。