まどマギが好きだった

魔法少女まどか☆マギカ

アニメが好きな人にとっては知らない者はないとも言える名作だ。絶望と希望が入り混じるハラハラするような展開に、スッキリとしない後味の残るラスト。各々のキャラクターは魅力的で、彼女らが辿る数奇な運命はとても儚い。

 

高校時代、アニメなんて見ずに生きてきた自分にとって最初の作品としてはあまりにも強烈だった。解釈サイトを読み漁り、足りないところは自分で補った。なけなしのお金で秋葉原にグッズを買いに行き、通学の際にループしたOPの回数はどれほどだろうか。

 

とはいえそれが自分だけではないことは周りを見るとよくわかった。自分のようにまどマギに感動していた人間は多くいたし、自分以上にそれに傾倒していた人もいた。おそらくその時期、その作品というのはとても相性が良かったのだろう。どう表現したら良いかわからないが多くの人にとって混迷極まる思春期の中でそれこそ「希望」を感じるものだったのは確かではないだろうか。

 

あのときからだいぶ時間が経った。どういう良さが、何が魅力的でどう美しくて、ここが感動した、具体的な意味が抜け落ち、ただ良かったなぁという感想が残っているのみとなっている。思い起こせば思い起こせそうだが、あまり気力もないし必要性も感じない。今掘り起こしたところでそれは違ったもののようになる気もする。

 

恐らく何かしら辛かったのだろうなとは思う。拠り所であったのだろう。無自覚であったが僕はまどマギのその哲学、価値観に魅了されたのだ。あのとき書いた解釈マップはどこへ行ったのだろうか。僕がまどマギを思うときの気分は郷愁を感じる酒のCMを見たときの気分に近い。